時間の考え方(2) ― 2011-06-11 03:16
前回は「すべての「空間の状態」を並べる「規則」があると考えた場合、その並べられた方向は「時間」と呼んでもいいのではないか」というところまで。
いろいろな「時間」を考えることができ、その中には普通の相対論的時間も含まれるはずだと思う。
ではその「時間」軸上の呼び名だけれども、一方の端点が「生」であるならもう片方は「死」となる。でもそれは感情を不用意に刺激するので、片方を「始」、もう片方を「終」とすればいいと思う。
単なる思考実験を無理やり人生論みたいなもんに絡ませたくないけれど、でもなんとなくぼくらの価値の置き所は「今」この場であり、過去や未来はそれに対する「環境」のように思えてならない。
いろいろな「時間」を考えることができ、その中には普通の相対論的時間も含まれるはずだと思う。
ではその「時間」軸上の呼び名だけれども、一方の端点が「生」であるならもう片方は「死」となる。でもそれは感情を不用意に刺激するので、片方を「始」、もう片方を「終」とすればいいと思う。
単なる思考実験を無理やり人生論みたいなもんに絡ませたくないけれど、でもなんとなくぼくらの価値の置き所は「今」この場であり、過去や未来はそれに対する「環境」のように思えてならない。
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